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2019年7月25日 (木)

サツマビーグル誕生ルーツへの旅(3)

お早うございます。。。四国徳島は、約1ヵ月にも及ぶ雨模様から解放され、朝から良い天気です。
しかし、これからは梅雨も明け、いよいよ夏本番!!!、猛暑が続くと思われますが頑張ります!。。。

さて、今日は『サツマビーグル誕生ルーツへの旅』の続編、「第3回」をお話ししたいと思います。

案内は、ご主人様の名調子にお任せしたいと思います・・・(笑)
第1回と第2回は、サツマビーグル愛好家以外の一般愛犬家からも大変興味を持ってご覧頂きました。
皆様から早く、続き(第3回)を投稿して下さい!・・・と、熱心な方から強い要望がありましたことを付記しておきます

前回のあらすじは、洋犬の盗み種によりサツマビーグルの起源となった『丸山系』が誕生し、その後盛んに品評会が開催され、現在のサツマビーグルが誕生(品種改良固定された)した・・・処までお話ししました。
今回は、この丸山系(後の川内系)がどうして今日まで生き残ったのか?と言う『第一の不思議』について、調査結果やご主人様の私見を基にサツマビーグルの誕生史を辿ってみたいと思います。

それでは、明治後半から昭和中期にかけてのサツマビーグル保存に心血を注いだ先人達の軌跡を辿って見たいと思います・・・

当時(明治後半)猟師を初め一般民は殆どが読み書きができない者が多かったと推測され、ましてや遺伝学に精通していた学者等がこの辺境の地に在住していたとは考えにくい。
では何故固定できたのだろうか。小生の推測では、当地が辺境故に道路事情も悪く外界とは断絶状態であったため、人の交流しかり他犬との血液交流も無く、親子、兄妹、祖父母等による近親交配が何十年も繰り返され、偶然による系統固定、即ち純粋化が進み、そして近代化の時代と共に辺境の地にも道路が整備され、この珍しい洋犬が多くの鹿児島県人に知られるところとなり、それが全国の知人、親戚等に譲渡され時間を掛けゆっくりと全国に普及して行ったと考える。
しかし、同犬の今日までの道のりは平坦ではなかった。それは、第一次世界大戦に続く第二次世界大戦の勃発により、当地の多くの猟師達も戦地に送り込まれることとなり、戦地で戦う兵士への食料補給と言う大義名分から犬等のペットの飼育が御法度で数多くの犬が殺処分される運命となり、次第に数が減って行くと共に管理の不味さから地犬との雑種化が進みサツマビーグル存亡の危機が訪れた。しかし、これら先人が残した犬の一部は、戦地に行った旦那の為にとばかり献身的な猟師の嫁さん等の手によって自分の出里(生まれ育った山深い辺境の地)等に隠し持ち、大事に育てたため貴重な純粋種が残された。
終戦後は、これらの犬を基に熱心なサツマビーグル愛好家が系統保存に立ち上がり、徐々に当時の状態まで純粋度を取り戻すまで改良した。しかし、不幸なことにスタンダードの規格を作る際に意見が対立したらしく、各人、各地域等が思い思いの系統固定に走り、「我の犬こそサツマなり!」と血統書の作成も顧みず(一部では血統書らしきものは有ったらしい)改良を行って来たため、体高は小さいもので40cm未満、大きいものでは50cmを超える大型犬も存在する。体型もバセット型、ビーグル型等と様々である。この様なことからサツマビーグルは長い間「日本在来種ビーグル」、「九州ビーグル」、「鹿児島ビーグル」等と呼ばれ、純粋種としての評価をされないまま一部の愛好者がその素晴らしい猟芸のみに着目し使用されるにすぎず、日陰に生きる運命を背負ってきた。
しかし、今から40〜50年程前から徐々にではあるが、狩猟雑誌等を通じてこの犬が優秀な獣猟犬として全国のハンターに見直され、犬種名も「サツマビーグル」と呼ばれるようになり、その後熱心なブリーダー等により純粋化が維持されて来た。しかし、その数は多くなく、ハンター同様にブリーダーの高齢化が進行し後継者が少なく、この現状を放置しておくならば近い将来先覚者が残してくれたこの素晴らしい犬種も滅びていく運命は避けらず早急に何らかの対策が望まれる。この犬の第一回目の危機が第二次戦争時であるならば、現在はそれに勝る大きな危機で有ることは言うまでもない。

・・・・どうでしたか???

サツマビーグルは幾多となく、絶滅の危機が訪れましたが、薩摩隼人の質実剛健な気質と薩摩特有の風土により生き残ることが出来ました。

以上の様に、先人が心血を注いで来たサツマビーグルが絶滅の危機に瀕していることに危惧し、ご主人様は定年退職を機に一念発起し、現在保存普及活動に取り組んでいます。
しかし、一個人での活動には、時間、健康、資金等に限界があることを痛感しており、今後の活動は後継者の育成を第一義に考え行動して行きたいと考えております。

昭和中期のサツマビーグル品評会で優勝した秀逸犬の写真が残っていますので添付しておきます。

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上記の犬は、大型部門の優勝犬です(昭和40年)。
体高は55cm以上は有った思います。
この大型の起源はイギリスから持ち込まれたハーリアと言われております。

下の写真は、当犬作出犬のダイ号です(平成30年)。

Image_preview8

ダイ号も国内に3頭いる大型サツマビーグルの内の1頭です。

長い歳月を経た今日でも、上記(写真)のサツマビーグルと非常に良く似ております。
このことからも、現在生存している純血サツマビーグルは、当時の体躯をよく継承していると言えます。

次回は、明治後半に政府要人がイギリス等から数多くのハウンドが薩摩(鹿児島県)を始め、当時内閣を組織していた長州(山口県)、土佐(高知県)等にも持ち込まれたと思いますが、何故に薩摩のみに当時の洋犬たちがサツマビーグルと名を変え残って来たのか?・・・

このことを『 第二の不思議 』として、お話ししたいと思います。

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