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2024年2月28日 (水)

サツマ塾 何故サツマは絶滅の危機に陥ったか!?

今朝、ご主人様は午前5時からMLBドジャース大谷選手のOP戦初出場と言うことで、朝早くからTV観戦をしていました。

結果、大谷選手は3打席目に2HRを打ち、好スタートを切りました・・( 拍手! )

いよいよ、3月20日からは今シーズンが開幕します。

3年前からは、我々との山入より、大谷選手の試合をTV観戦する方が好きな様で、これからワクワクする楽しい毎日が11月まで続きます。

いいなぁ~~~( 我々もごろ寝を楽しもう! )

と言うことで、今日の山入はお休みでした・・(>_<)


さて、本日から数回に渡り、電話・メールでの問い合わせ、サツマ保存会員様、ブログ拝読者様等からのご質問に『サツマ塾』と題してお答え(お話し)させて頂きたいと思います。

尚、我々サツマビーグルに関するご質問があれば、メールでお問い合わせください!。


さて、第1回目の本日は「
何故サツマは絶滅の危機に陥ったか!?」と言うことについてお話しさせて頂きます。

サツマは、昭和50年前後ら狩猟雑誌「全猟」「狩猟界」「狩猟の世界」等に紹介される様になり、全国に広がって行きました。

当時は、狩猟ブームも手伝って、サツマの需要も多く、その結果鹿児島には犬ブローカーの様な者が現れ、農家の副業とて繁殖させた犬(サツマ)を安く買い取り売りさばいた結果、劣悪なサツマが全国に広がり飼育される様になりました。

その当時、狩猟雑誌の紹介欄には、「在来ビーグル」「サツマ」「薩摩ビーグル」「九州ビーグル」等と記載され、現在の様に統一されていませんでした。

当時は、輸入され始めた獣猟犬(ビーグル、プロット、ブルーチック、ウォーカー等)はその数も少なく高価であったことから、少々体型や猟芸等に難があったサツマもその値段から、凄い勢いで繁殖され販売されました。

その結果、先人達により犬種固定された純血サツマは激減し、劣悪な犬でもサツマ系等と称して全国に普及して行きました。

当時サツマのブローカーは、大変な大金を手に入れた様ですが、そのしっぺい返しとして劣悪なサツマは体型も猟芸も悪かったことら、段々と売れなくなって行きました。

すると、今度は手にした大金を基に輸入犬(ビーグル、プロット、ブルーチック等)を購入し、以前の様に農家の副業として繁殖を委託し、又もや全国に売りさばいた様です。

しかし、当時は輸入数も少なく、素人繁殖で極近親繁殖(親子・兄妹等)により、瞬く間に体型や猟芸が悪化し、売れなくなった様です。

すると、ハウンド(牡)を沢山のサツマ(牝)に交配し、サツマ系等と称し格安で販売した為に、全国に雑種が氾濫して行きました。

中には、仕事を良くした犬も居たようですが、繁殖しますと雑種ですので体型や猟芸はバラバラになった様ですが、遺伝学的に見ましても当然と言えます。

何時の時代でも、悪徳ブリーダー(ブローカー/犬屋)が居るもので、犬種の普及に貢献はしたもの「儲かれば良い」と品質を顧みず劣化させた張本人でもあります。

昭和55年頃から、ビーグル、ブルーチック、プロット、ウォーカー等のハウンド類を繁殖するブリーダーが、次々と新しい犬を輸入し、狩猟誌に紹介されると、その価格の手ごろ間から全国のハンター達も純血種を購入する機運が高まり、その猟芸等も優れていたことから、全国に居たサツマ系雑種の犬達がドンドンと飼われなくなって行きました。

そして、何時の間にかこれらサツマは、一部のハンターが使用する程度まで減少し、絶滅の危機を迎えました。


犬の繁殖で金儲けしようとすれば、上記した様な試練が待ち構えていることをブリーダーは知るべきであり、絶対にしてはならない事であります。

ご主人様も、兼ねがね『 繁殖犬はあくまで後世に残す良い犬でなければならないし、ましてや金儲けの道具には絶対使ってはならない! 』との決意で、我々の保存普及活動に取り組んでおられます。

ハンター(獣猟)達がサツマに見切りをつけ、新しく輸入されたハウンドを使用する様になっているにも拘わらず、最後まで純血サツマの保存に打ち込んで来られた「サツマ犬舎」の舎主東氏とその仲間達でした・・。

しかし、16年程前に東氏が亡くなりますと、保存されていました50頭余りの純血サツマも鹿児島県内の他、全国に譲渡されて行った様です。

奥様に聞きましても、譲渡先は分からないと言うことでした・・(~_~メ)

もし、東氏が約40年間、私財を投じて純血サツマを保存していなければ、現在のサツマビーグルは存在して居なかったと断言できます。


写真は、出水系のバセットタイプのサツマです(昭和40年頃)。

現在のサツマによく似ていますが、前足が曲がっており、このバセットタイプはご主人様が鉄砲を始めた昭和48年頃に徳島にも居たようで、良く響く大きな声でノウサギを追っていた様ですが、追跡スピードはとても遅く、追跡も数十分ほどしか追えなかった様です。

( 写真はイメージです )
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これでは、飼う人が居なくなるのは当たり前で、この頃からアメビーも比較的安くなり(仔犬1頭がご主人様の月給1ヵ月分)、段々と普及して行きました。

そして、昭和55年頃はサツマに打って変わり、ノウサギ猟にアメリカンビーグルが全国に普及し、全猟各地でローカルトライアルクラブ主催の競技会も開催されるようになり、狩猟以外にも一年中楽しめるトライアルに夢中になるハンターも爆発的に増えて行きました。

その様な経過を辿り、ノウサギ猟でもサツマを飼う人が激減し、絶滅の危機が加速されて行きました。

ご主人様もアメリカンビーグルで狩猟とトライアルを楽しんでおられましたが、鹿児島で約100年と言う長い歳月を掛け先人達が残してくれた純血サツマビーグルの絶滅危機を訴えるべく、現在は閉鎖しておりますがご主人様が管理・運営されていましたアメリカンビーグルのホームページ『 狩猟系ビーグルの館 』を通じて、純血サツマビーグルの保存を訴えましたが誰として手を挙げる人は居ませんでした。

そこで、世界に誇れる日本固有の獣猟犬「サツマ・ビーグル」を後世に残すべく、サツマの調査研究を行い2004年に本犬の由来やエピソードをまとめた『 サツマビーグルのルーツ 』を公開しました。

現在の「サツマビーグル」と言う名称は、サツマ犬舎の東氏が狩猟誌の紹介欄で記載されていました「サツマ・ビーグル」の間にあった「・」をご主人様が取って公開したことから、現在では一般的な犬種名として使用される様になっております。


ご主人様は、この先人達が残してくれた日本固有の獣猟犬を誰もが保存活動をしないのならばと定年退職を機に一念発起し、約40年間と言う長きに渡り保存して来ましたブーギー系アメリカンビーグルは、同系を愛好する全国のビーグラーに飼育を託し、自らは純血サツマビーグルの保存普及活動に取り組んで行くことを決意されました。

そして、サツマ発祥の地「鹿児島」で最後まで純血サツマビーグルを保存し続けた「サツマ犬舎」の故東氏宅を訪問し、ご仏壇にお参りさせて頂き、奥様にサツマの保存の決意をお話されましたところ、とても喜んで頂いた様です。

その時、奥様から紹介頂いたのが東氏の片腕として純血サツマの保存活動をサポートして来られた、現在ご主人様が「鹿児島のサツマ師匠」と仰ぐM氏であります。

M氏にお会いするまでの間、ご主人様は鹿児島のビーグルトライアル仲間等を通じて純血サツマを探しましたが、雑種が多く一時は保存活動も諦めようとも考えたこともあったと聞いております。

ところが、M氏とお会いしてからと言うものは、自ら飼育(保存)している純血サツマの他、ハク、エス、タロー、ギンと次々と素晴らしい純血犬が見つかり、それを基礎犬として保存活動に取り組んで来た結果、現在(2/1現在)では全国34道府県で179頭が飼育されるまでに普及することが出来ております。

このことは、今は亡き「サツマ犬舎」舎主の東(ヒガシ)氏も、あの世で喜んでくれていると思います。

下の写真は、東氏が最後に繁殖された純血サツマビーグルです( 写真の提供者は東氏の奥様 )





では、本日はこの辺で失礼します・・(@^^)/~~~



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本日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

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